架空座談会・思想の遊戯

若者の恋愛離れ、何が起きているか

評論家・思想家10名が一堂に会した架空の長時間座談会。
データを携えた司会・のあのもと、論者同士が反論・補足・対立を重ねる。
2026年5月収録(架空) / 司会:のあ / 出演:小林秀雄・吉本隆明・柄谷行人・東浩紀・内田樹・宮台真司・山本七平・丸山眞男・立花隆・池上彰
※本対談はフィクションです。登場する評論家・思想家の発言は、各人の代表的な著作・公開発言・文体特徴・話し言葉の癖に基づいて、本ドキュメント著者が再構成しました。参考文献は末尾に列挙。

登壇者

のあ
司会・データ係
小林秀雄
批評家
吉本隆明
思想家
柄谷行人
哲学者
東浩紀
批評家
内田樹
思想家
宮台真司
社会学者
山本七平
評論家
丸山眞男
政治学者
立花隆
ジャーナリスト
池上彰
解説者
第 1 幕
数字を前に
まず宮台と内田が衝突する
のあ 司会

みなさん、こんにちは〜 🌸 今日はちょっと重ためのテーマでお願いしたくて、評論家・思想家10人のみなさんにお集まりいただきました。テーマは「若者の恋愛離れ」です。

下世話な言葉で語られがちなテーマなんですけど、データを見ると、いまの日本社会で確実に起きている大きな変化のひとつで、そしてその原因は、たぶんひとつじゃないんですよね。経済の話なのか、社会構造の話なのか、テクノロジーの話なのか、もっと深い精神構造や日本人の戦後史の話なのか。みなさんはそれぞれ違う角度から長年この国の若者を見てこられたので、視点を持ち寄って議論していただきたいと思ってます。

進め方は5幕構成にしたいなと思っています。第1幕で現状の数字を共有して、第2幕で構造の話、第3幕で日本人の精神構造、第4幕でテクノロジーと取材現場、第5幕でそれぞれの結びの言葉、という順番でいきますね💭 私は司会兼データ係として、議論の途中で統計や参考文献を適宜挟みます。あくまでお話を運ぶ役なので、専門的なところはみなさんに任せちゃおうかと。

では、まずは現状の数字から。

基礎データ — 婚姻と交際の現状
出典:厚労省「人口動態統計」2024年確定数 / 国立社会保障・人口問題研究所「第16回出生動向基本調査」(2021)
宮台真司

ぶっちゃけ言うとさ、この数字を見て驚いてる時点でもう周回遅れだよ。俺は1995年から「終わりなき日常」って言い続けてきたわけ。30年前の予言が当たっただけ。

で、いま起きてるのはこういう話だよ。マトモな大人が30年かけて、若者を孤立させる社会を作り上げた。その結果だよ。商店街潰して、銭湯潰して、喫煙所潰して、地元の祭りも潰した。安全と効率の名のもとに、人が偶然出会う場所を片端から消したわけ。

その上で「若者は恋愛しない」って言って嘆いてるんだから、ぶっちゃけクズだろ。順番が逆。

内田樹

宮台さん、いきなり熱いなあ(笑)。だってね、宮台さんの議論はぼくはわりと賛成なんですけど、若者を「孤立させられた被害者」として描きすぎるとね、ちょっと別の側面が見えなくなる気がするんですよ。

ぼく、神戸で凱風館っていう道場やってるんですけど、若い人がよく稽古に来るんです。で、彼らとお茶飲みながら話してるとね、けっこう「自分から関係を遮断してる」感覚を持ってるんですよ。彼らの中ではね、「面倒なものから距離を取る技術」というやつを、ものすごく磨いている。

これは、ぼくの考えではね、戦後ずっと続いてきた「能力主義」の極端な内面化だと思うんですわ。自分を一つの「商品」として最適化する訓練を受けすぎた結果、他人と関わる時の「リスク管理」が異常に発達した。これは社会のせいでもあるけど、本人の自衛戦略でもあるんですよ。

宮台真司

内田先生、それは性善説すぎる。先生は道場に来る学生を見てるから、ある程度マトモな層しか見えてない。俺がこの30年取材してきた、援交少女、引きこもり、自殺企図者、メンヘラ、ロスジェネ、就職氷河期、その底辺の連中は、自衛戦略なんて呑気な話に収まる存在じゃない。

もう「遮断する」段階を超えて、「最初から接続が起きない」状態だよ。母親に「恋愛なんかするな、勉強しろ」って言われ続けた結果、思春期に他者へのトキメキを経験しないまま大人になってる。生理学的なレベルで、性愛のスイッチが入らない。

こういう傾向を捕まえて、世間では「若者のマザコン化」みたいな雑な言い方で片付ける連中が多い。けどな、俺に言わせればマザコン化なんて生易しい話を超えてる。母親による情緒的去勢だよ。クズな話だけど、もうそういうフェーズに来てる。

内田樹

宮台さんの言ってる「情緒的去勢」、これは現象としては当たってると思うんです。でもね、原因論として「母親が」って言うと、ぼくは反対なんですよ。なんで母親に行くんですか(笑)。

ぼくがレヴィナスから受け取ったいちばん大事な発想はね、「他者は私の理解を超えるもの」っていうことなんです。理解できないもの、コントロールできないもの、要するに不気味なものを、生活の中に招き入れる訓練。これが家族の機能なんですわ。

で、いまの家族は「不気味なものを排除する」ように設計されてる。これは母親個人の責任に押し付けられる問題を超えていて、ハウスメーカーから学習塾から子供向けアプリまで、全部が一体になって「子供にとって予測可能で安全な世界」を作ってきた。その総和なんですよ。

東浩紀

すいません、ここで割って入っていいですか。宮台さんと内田さんのお話、ぼくは両方とも少し角度を変えて見たいと思っていて。

「若者が恋愛しない」のは、社会のせい、母親のせい、家族設計のせい、と原因を辿るより、ぼくの考えではもっとシンプルに、選択肢が増えすぎたんだと思うんですよね。

ぼくは『動物化するポストモダン』を書いたときに、消費の形が「物語消費」から「データベース消費」に変わったって書いたんです。物語消費は重い、データベース消費は軽い。で、いま若者が恋愛より優先しているのは、推し活でも、ゲームでも、副業でも、勉強でも、なんでもいいんですけど、要するにデータベース消費的に楽しめる活動なんですよ。

恋愛は物語消費です。コストが重い、結果が予測できない、相手に振り回される。これが「データベース消費に慣れた脳」にとっては、コスパが悪く感じる。社会論や親の責任論を一段離れて、消費の形の変化が恋愛を後ろに押しやった、というのがぼくの見方です。

柄谷行人

東くん、君のいまの整理は浅い。「消費の形が変わった」という記述は、現象の表面に過ぎない。なぜ消費の形がそう変わったか、ここを問わなければ意味がない。

私が『世界史の構造』で書いたのは、すべての社会関係は四つの交換様式から成る、ということだ。互酬の交換様式A、再分配の交換様式B、商品交換の交換様式C、そして交換様式D。現代の問題は、交換様式Cが他の三つを侵食しつつあることだ。

君の言う「データベース消費」は、商品交換Cが極限まで進んだ結果として出てきた現象に過ぎない。私から言わせれば、消費形態論で停まるのは思考の停止だ。

東浩紀

柄谷さん、それはちょっと不公平だと思うんですよ(笑)。ぼくは現象記述から入りたかっただけで、構造論的な裏付けを否定するつもりはなかった。

むしろぼくは、柄谷さんの交換様式論を全面的に肯定したうえで、それでも若者の生活実感を語るには「データベース消費」みたいな中間概念が必要だと思うんです。Cが拡張してDが弱まる、と言われてもね、20代の女の子はピンとこない。「タピオカもサウナも推し活もできるのに、彼氏作る時間だけはない」って体感のほうが、ずっと地に足がついてる。

これはぼくがゲンロンっていう場所をやってて、20代と毎日顔を合わせてるから言えることでもあります。柄谷さんの構造論は、ぼくは尊敬してますけど、現場の言葉では話せないんですよ。

柄谷行人

君が「現場の言葉」を強調するのは、君が大学を出てゲンロンを始めた頃から変わらない癖だ。私はそれを否定しない。ただ、現場の言葉と構造の言葉は、本来は接続しなければならない。両方なくしては議論にならない。

君の議論にはもう一つ問題がある。「データベース消費」と言った瞬間に、消費者である若者を、消費する主体として捉えてしまう。だが恋愛は、本来は消費の枠組みでは捉えられない。ここで君は、君自身が批判してきた発想に滑り落ちている。

のあ

柄谷先生と東先生の話、めっちゃ熱い 🌸 ちょっとここでデータを足してもいいですか。経済の話も出てきたので。

追加データ — 経済と時間
出典:厚労省「賃金構造基本統計調査」/ 総務省「家計調査」/ MMD研究所
第 2 幕
構造か、大衆か
柄谷と吉本の旧友対決、そこに小林が割って入る
吉本隆明

いや、ちょっとね、東くんと柄谷くんの話を聞いててね、私が言いたかったのはこういうことなんですよ。

柄谷くんの議論はね、これは古い友人として言わせてもらうと、いつも美しすぎる。交換様式が四つあって、CがDを侵食して、っていうのは図式としては綺麗なんだけど、その図式が大衆の生活実感を救うかというと、私は救わないと思うわけ。

これね、私が80年代に柄谷くんと論争したときから同じ話なんですけど、私が『共同幻想論』で書いたのは、人間ってのは三つの幻想を生きてるってことなんですよ。自分一人の幻想、つまり自己幻想ね。それから恋人とか夫婦みたいな対幻想。最後に国家みたいな共同幻想。この三つは別物なんだけど、現代社会ではみんなごちゃ混ぜに語られちゃう。

で、いま若い人が結婚しないっていうのはね、対幻想が薄くなったからなんだけど、これを共同幻想の問題、つまり社会構造の問題として片付けちゃうと、いちばん大事な「対幻想を維持する個人の苦労」が見えなくなるんですよ。

柄谷行人

吉本さんとは古いつきあいなので率直に言うが、その三幻想論には、私はずっと不満を持ってきた。三つに分けると、それぞれが独立した領域として固定される。だが、私の主張は、これら三領域は同じ交換様式の異なる現れ方だ、ということだ。

対幻想だけ取り出して論じても、いまの若者の問題は説明できない。なぜなら、対幻想そのものが、交換様式Cの拡張によって、別の何かに変質しているからだ。

たとえば、マッチングアプリを考えてみたまえ。あれは対幻想を商品化する装置だ。条件、写真、メッセージのテンポ。すべて等価交換の原理で動く。これを「対幻想が薄くなった」と記述すると、変質の構造が見えない。「対幻想がCに変質した」と言うべきだ。

吉本隆明

柄谷くん、それなんだけどね。マッチングアプリで条件で人を選ぶってのは、これは現象としてはたしかにそう見えるんだけど、私は逆に「対幻想を求めて条件で探してる」とも読めると思うんですよ。

つまりね、若い人が条件で相手を探すというのは、対幻想を成立させる確率を上げたいんですよ。これは、私が大衆の原像という言葉で言ってきたものに近い。大衆ってのはね、何かを諦めて引き下がる人たちじゃない、いま自分が持ってる手段で、必死に何かを掴もうとする人たちなんですよ。

柄谷くんが「Cに変質した」って言うのは、これは構造論としては正しいかもしれない。けどね、その変質に巻き込まれてる本人たちは、対幻想に手が届く道を探してる。それだけのことなんですよ。私はね、大衆を変質した被害者として描くのは、これは知識人の傲慢だと思ってる。

小林秀雄

君たち、ずいぶん喋るな。一つ私に語らせたまえ。

柄谷くんは「対幻想がCに変質した」と言う。吉本くんは「いやそれは大衆の必死の戦いだ」と言う。両方ともね、君たちは恋愛というものに、抽象的な言葉を被せすぎている。

諸君、よく考えてみたまえ。恋愛とは何か。あれはな、説明できないものなのだ。私は若い頃に、ある女に出会った。何が起きたか説明できない。説明しようとした瞬間に、起きたものが死んでしまう。これは批評家として50年やってきた私が、いちばん確信をもって言えることだ。

諸君のいう「構造」も「実感」も、すべて事後の解釈に過ぎない。事後の解釈で恋愛を測ろうとするから、若者の恋愛が見えない。若者は構造でも実感でも生きていない。直観で生きている。直観を尊重する大人が、いま、少なすぎる。

宮台真司

小林先生、お言葉ですが、それは違いますよ。先生のおっしゃる「直観」、これは俺もずっと言ってきた身体性の話で、根っこは同じだと思うんです。ただ、直観が起動するには、それなりの条件が要るんですよ。

先生の時代には、その条件があった。先生がエッセイで書かれてる、銀座のバーとか、神田の古本屋とか、京都の祇園とか、ああいう場所があった。「直観が起動する場」って、社会のインフラなんですよ。

いま、そのインフラが消えた。だから直観が起動しない。これを「若者が直観を失った」って言うのは、ぶっちゃけ若者に責任を押し付けてるだけだよ。直観が起動する場を奪っといて、直観が出てこないって嘆くのは、ただの大人の怠慢だよ。

小林秀雄

宮台くん、君の言うことには一理ある。だがな、私はもう一つ言いたい。場所が消えた、というのはそのとおりだ。しかし、新しい場所を作るのは社会学者の仕事ではあるまい。本人たちの仕事だ。

私の時代も、銀座のバーは誰かが作った。神田の古本屋も、誰かが作った。誰が作ったかというと、若い連中が作ったんだ。マトモな大人とは別の場所にいた、変な熱意を持った若い連中が、街を歩いて、面白い場所を勝手に発見し、勝手に居着いて、勝手に場を作った。

君は「場所を作るのは社会の責任」と言うが、私は「場所は若者が勝手に作るものだ」と言いたい。社会学者の処方箋を待っているような若者には、もともと恋愛はやって来ないのだ。

宮台真司

小林先生、それは美しい話ですけど、いまの若者には残酷ですよ。先生の時代の銀座のバーは、たしかに若者が作った。でもね、その若者が「作る」ためには、家賃が安く、規制が緩く、近所のおじさんが文句を言わない、っていう前提条件があったわけ。

いまの東京で、若者が勝手にバーや喫煙所や音楽スペースを作ろうとしても、消防法と風営法と建築基準法と近隣住民のクレームで、3か月で潰される。これは精神論じゃ解決しない構造の話なんですよ。

俺は加速主義者だから、ここは正直に言う。先生の世代がやれたことが、いまの若者にはできない。怠惰の問題じゃ済まない、社会の許容度が下がりすぎた問題だ。

池上彰

ちょっと整理させてくださいね。皆さんの議論、いま3つの軸でぶつかっていますね。

1つ目は柄谷先生と吉本先生のあいだの古典的な論争で、社会構造をどう描くか、大衆の主体性をどう尊重するか、というもの。これは1980年代から続いている論争です。

2つ目は小林先生と宮台先生の議論で、恋愛は個人の直観に属するのか、それとも社会のインフラに依存するのか、というもの。これは精神論と構造論のぶつかり合いですね。

3つ目は東先生の議論で、消費形態の変化として捉える視点。柄谷先生から「浅い」と批判されましたが、若者の生活実感を語る言葉としては、私は有効だと思います。

もちろん、別の見方もあります。「そもそも結婚しない若者が増えるのは、多様化の進展で歓迎すべき」という立場もあって、これもこれで筋が通っています。

第 3 幕
日本人の精神構造
丸山・山本・内田が日本論で交差する
丸山眞男

みなさんの議論を伺いまして、私はそれを近代化論の文脈で受けたいと思います。

戦後の日本政治思想史を専攻してきた立場から申し上げますと、日本社会の最大の特質は、「である」ことと「する」ことが歴史的にうまく整理されてこなかった点にあります。これは私の旧著『日本の思想』でも書きました。

身分制社会というのは「である」が支配する社会であります。何家の長男「である」、誰々の妻「である」、というように、所属によって人が定義される。近代社会というのは、逆に「する」が支配する社会でして、何を選んだか、何を行ったか、で人が定義される。

日本の近代化過程の問題は、制度としては「する」社会に移行しながら、精神としては「である」を残してきたところであります。結婚も、戦後ずっと「である」の領域に置かれてきました。誰々の妻「である」、母「である」と。それが、ようやくいまになって、結婚も「する」の選択肢の一つに過ぎなくなった。私はこれを基本的に進歩と評価いたします。

山本七平

丸山先生のお話、たいへん勉強になりました。ただ、戦中派の私からは、少し違う角度をお話ししたいんです。

私は陸軍少尉としてフィリピンに行きました。あそこで何が起きたかというと、すべてが「空気」で決まるんですね。誰も命令しないが、空気が「突撃するもの」と決めれば、全員が突撃する。論理でも倫理でもなく、空気で人が動く。

戦後80年経って、何が変わったかと言いますと、空気の中身は変わったんですが、空気で動く構造そのものは、ほとんど変わっておりません。かつては「結婚するもの」という空気がありました。誰も命令していないんですが、職場の上司、近所のおばさん、親戚の集まりが、全体として空気を作っていた。日本人は、その空気に乗っていれば、自分で考えなくても結婚できたんです。

いまは、その空気が消えました。代わりに「結婚しなくてもよい空気」、いやもっと正確に言いますと、「結婚を話題に出してはいけない空気」になりました。すると日本人は、結婚すべきか否かを、自分の頭で考えなくてはならなくなる。これは、たいへん不慣れな作業なんですね。

丸山眞男

山本さんのご指摘は、私の議論への重要な批判であります。私は「する」社会への移行を進歩と申しましたが、山本さんのおっしゃる通り、「自分の頭で考える」訓練が日本人に足りていなければ、「する」社会は機能しない。

明治以降の日本人は、制度上は近代国家の市民でありながら、精神上は「お上」と「世間」のあいだで暮らしてきました。私はこれを「無責任の体系」と呼びました。世間の空気で動いている限り、誰も責任を取らずに済む。結婚もその一つだったわけです。

いま、空気が消えて、結婚するかしないかを自分で決めなくてはならなくなった。これは形式的には自由の獲得でありますが、自分で決める訓練を受けてこなかった日本人にとっては、決断の重荷でもあります。

内田樹

丸山先生と山本先生のお話、ぼく、両方ともすごく説得力があると思って聞いてました。

で、ぼくがそこに足したいのはね、「結婚」という選択肢が「する」の領域に入ってきたとき、もう一つ起きたことがあるんですわ。それは、結婚相手も「選ぶ」ものになった、ということなんですよ。

これがね、若い人にとっては地獄なんです。なぜかというと、選ぶ行為には責任が伴うから。お見合いで親が決めてた時代はね、相手とうまくいかなくても、親のせいにできた。空気で結婚した時代も、空気のせいにできた。いまは、自分で選んだ相手だから、うまくいかなければ全部自分の責任。

ぼくはレヴィナスの倫理学にずっと影響を受けてるんですけどね、彼の発想を一言で言うとこうなんですよ。「自分が選んだ相手は、自分の選択の延長線上にあるだけ。本当の他者は、向こうから訪れてくる」。つまり、自分で選んだ瞬間に、相手は自分の選択の延長になっちゃう。本当の他者性が消える。

結婚は本来、他者と関わる経験のはずなのに、選択の作法に縛られた結果、他者が消えていくんですよ。これがいちばん皮肉な構造なんですわ。

山本七平

内田さんのお話、私には新鮮ですね。私は神学的な議論に近いところで考えますので、「他者」というのを「神に出会う場」として理解してきました。

キリスト教の伝統では、結婚は二人の間に第三者として神が立ち会う秘跡なんです。三人の関係なんですね。日本ではこの「第三者」の役を、神に代わって世間が担っていました。結婚式に親戚や近所の人を呼んで、世間に「報告」することで、二人の関係が公的になった。

いまは、世間も神もいなくなった。二人だけで関係を成立させなければならない。これは、たいへん難しい仕事なんです。第三者がいないと、関係が硬直化しやすい。喧嘩したときに、ガス抜きする場所がないんですね。

吉本隆明

いやね、丸山さんと山本さんと内田さんの話を聞いててね、私が言いたいのはこういうことなんですよ。みなさん、ちょっと話が抽象的すぎる。

私は戦中、東京工大の電気化学にいたわけ。あそこで何を見たかというとね、貧しくて、勉強しなきゃならなくて、それでも好きな相手のことを考えてしまう若者たちですよ。彼らにとって、恋愛は「空気」でも「選択」でも「他者性」でもなかった。ただ、生活の中の一部だった。

いまの若者にね、私が会って話を聞いたら、たぶん同じこと言うと思うんですよ。「忙しい」「金がない」「先が見えない」。それだけのこと。空気が消えたとか、他者性がどうとか、そんな高尚な悩み方を、彼らはしてないと思う。

知識人がね、若者の生活を勝手に意味づけしすぎなんですよ。これは私が80年から90年代に「大衆の原像」って言葉で何度も書いてきたことなんだけど、いまだに変わってない。

内田樹

吉本先生、それはぼくも気をつけなきゃいけないところなんですけど、ね、ちょっとだけ反論させてください。

「忙しい・金がない・先が見えない」って若者が言うじゃないですか。でもね、これを表層的に受け取ると、政策議論にしかならないんですよ。「賃金上げよう、子育て支援しよう」っていう。でも、その層を超えて、20代の女性で、年収500万あっても、恋愛から距離を取る人が増えてるんですよ。

つまり、経済論だけじゃ説明つかない部分が、確実にある。そこを語る言葉として、ぼくは「他者性」とか「選択の重荷」とかが必要だと思ってるんです。

吉本隆明

内田さん、それはわかる。わかるんだけどね、私が引っかかってるのはこういうことなんですよ。

「年収500万あっても恋愛しない」っていうデータね、これは数字としては事実なんだけど、その500万の女性が自分で「私は恋愛してない」って思ってるかどうかは別なんですよ。お金は稼いでる、友達もいる、推し活もしてる、もしかしたら時々誰かと寝てるかもしれない。それで本人は「私は十分幸せ」って思ってる可能性が高い。

そういう人を「恋愛離れの典型」として知識人が分析することはね、これは大衆の生活実感とは別の話なんですよ。私はね、こういう「大衆を分析する目線」そのものに、ずっと違和感を持ってきた。

第 4 幕
取材現場から
立花が現場を持ち込み、東と宮台が応酬する
テクノロジー関連データ
出典:リクルートブライダル総研「婚活実態調査2024」/ MMD研究所 / 民間調査の中央値
立花隆

みなさんの議論、たいへん勉強になります。私はジャーナリストの立場から、現場で聞いた話を一つ紹介させてください。

この一年、20代の男女12人にインタビューしました。1人あたり2時間から3時間、テーマは一つ、「あなたはなぜ恋愛をしないか」。

いちばん多かった答えはね、「時間がない」なんです。仕事、副業、推し活、ジム、勉強、睡眠。24時間が限界まで埋まっていて、恋愛に割く可処分時間が残らない。これは観念論を越えた、生活の物理的な制約として語られました。

二番目に多かったのは「失敗のコスト」。マッチングアプリで会った相手と合わなかった、デートに3万円使ったが続かなかった、SNSで愚痴を書かれた、ストーカー被害に近いものを受けた。失敗の体験が、次の挑戦のハードルを劇的に上げています。

三番目は「親世代の離婚」。両親の不仲や離婚を間近で見ながら育った世代が、結婚というものの「投資対効果」に懐疑的なんです。これは構造論や空気論よりも一段深い、身体的な学習、つまりトラウマに近いものでした。

宮台真司

立花先生、それまさに俺がずっと言ってきた話だよ。先生の取材で出てきた「失敗のコスト」と「親世代の離婚」、これは俺の言葉で言うと「身体的な学習による回避」だ。

俺は1990年代から、子供が親の感情劣化を見て育つことの影響を書いてきた。あれが30年経っていま、実を結んでる。結婚した人間が幸せそうにしてない、これを子供は無意識に学習する。学習した結果、結婚に近づかなくなる。これは合理的な判断だよ。

で、ここに俺の処方箋がある。マトモな大人が、結婚生活の中で幸せそうにしているところを、若者に見せるしかない。ぶっちゃけ、これしかない。理屈の手前の話なんだよ。目の前にいる夫婦が幸せそうに笑ってる、それを見て初めて「ああ、結婚っていいかも」って身体が反応する。それ以外の啓蒙活動は全部無駄だ。

東浩紀

宮台さんの処方箋、ぼくはちょっと違うと思うんですよね。「幸せそうな夫婦を見せる」って、ある種のロールモデル提示じゃないですか。でもいまの若者は、ロールモデルに対する不信が非常に深いんですよ。

むしろぼくの考えではね、「失敗してもいいんだよ」というメッセージのほうが効くと思うんです。これがぼくの『訂正可能性の哲学』で書いたことなんですけど、人間って、最初の選択を間違えてもいい、途中で訂正していい、というのが本来の姿なんですよ。

立花さんの取材で出てきた「失敗のコスト」、これは実は「失敗しないように設計された社会」が作り出した恐怖なんです。マッチングアプリも、SNSも、評価経済も、すべて「失敗を可視化して罰する」装置として機能している。若者は失敗を恐れて、最初から動かなくなる。

必要なのはロールモデルというより、「失敗しても訂正できる」という社会的合意だと思います。

宮台真司

東くん、訂正可能性の話はわかるんだけどさ、それはあくまで言説のレベルの話なんだよ。「失敗してもいいよ」って若者に言ったところで、実際に失敗したらSNSで晒される現実は変わらない。

俺が「マトモな大人を見せろ」って言ってるのは、もっと身体的な話なんだ。脳科学で言うとミラーニューロンの話に近い。人間は、目の前に幸せそうな人がいると、無意識に身体がそれを模倣する。逆に、目の前に不幸そうな人ばっかいると、身体が幸せのほうに動かなくなる。

君の訂正可能性は、頭の話だ。俺の言ってるのは、身体の話なんだ。これは前提が違う議論だよ。

東浩紀

宮台さん、ぼくの訂正可能性は、頭の話じゃないんですよ。ぼくはむしろ、宮台さんがおっしゃるその「身体的な学習」を変えるためには、社会全体に「訂正してもいい」という空気を作る必要があるって言ってるんです。

身体に染み付いた失敗回避を、身体だけで変えることはできない。なぜなら身体は社会から学習しているからです。社会が「失敗を許容する」って合意しない限り、個々のミラーニューロンは動かない。

マトモな夫婦を見せるのは大事です。でも、見せる前に、若者が「失敗してもいい場所」に来られる前提条件を作らないと、見せる機会すら生まれません。

柄谷行人

東くんの言う「訂正可能性」、私はこれを『探究』で扱った他者論と接続できると思う。

他者とは何か。私の定義では、他者とは私が予測できない存在のことだ。予測できる相手は、もはや他者ではなく、自分の延長に過ぎない。

マッチングアプリは、相手を予測可能にする装置として設計されている。だが、ここに矛盾が生じる。完全に予測可能な相手と関係を結んでも、それは恋愛ではない。恋愛は、私が予測できない他者と出会うことで初めて成立する。

「訂正可能性」という君の概念は、おそらくこの「予測不可能な他者」を社会的に再導入する試みなのだろう。私はこれを高く評価する。ただし、訂正可能性を社会全体の空気として実装するには、商品交換Cの拡張を意識的に抑えねばならない。Cはすべてを予測可能化する運動だからだ。

東浩紀

柄谷さん、ありがとうございます。柄谷さんからそこまで言ってもらえると、ぼくとしてはうれしい。

追加して言うと、ぼくが訂正可能性で考えているのは、関係の入口だけじゃなくて、出口の問題でもあるんです。「離婚も訂正である」と社会が認める空気ができれば、結婚の入口のハードルも下がります。「結婚=一生添い遂げる」というプレッシャーが、いまの若者にはあまりにも重い。

立花さんが取材で聞いた「親の離婚」が結婚回避の理由になっている、というのは、まさにこの問題なんですよ。離婚を「失敗」として刻印する社会では、結婚は怖くてできない。離婚を「訂正」として捉え直せば、結婚も軽くなる。

立花隆

東先生のお話、私はジャーナリストとして賛成です。実際にインタビューした12人の中で、「離婚しても大丈夫」と思っている人は、結婚に対するハードルが明らかに低かった。逆に、両親の離婚で精神的に傷を負った若者は、結婚そのものを「やってはいけないこと」として認識していた。

ここで私がもう一つお伝えしたいのは、いまの若者の中に、「同棲はする、結婚はしない」という選択肢が静かに広がっていることです。インタビューした12人のうち、5人がこのパターンでした。法的な拘束を避け、しかし生活は共にする。これは、東先生のおっしゃる訂正可能性の実践とも読めるし、宮台先生のおっしゃる「マトモな関係を生活レベルで実現する試み」とも読めると思います。

内田樹

立花先生が出してくれた「同棲はする、結婚はしない」、これね、ぼくはレヴィナス読みとして、すごく興味深いと思うんです。

結婚というのは制度です。制度に入った瞬間に、相手は「妻」「夫」というカテゴリーに収まる。本来の他者性が、制度の中に回収されちゃう。ところが同棲は、制度の外側にある。同居人は、いつでも「明日いなくなるかもしれない他者」なんですよ。

これね、本当の他者と暮らす経験を、若い人たちが自分で発明してるとも読めるんです。制度に守られないかわりに、毎日が小さな再選択。これはむしろ、ぼくの言う「他者と共に生きる」訓練として、結婚より高度な営みかもしれない。

吉本隆明

内田さんのいまの話、私はちょっと面白いと思って聞いた。「同棲は他者性を保つ高度な営み」っていう読み方ね。

これね、私の対幻想論で言うとね、対幻想を制度化せずに生のまま維持する試みなんですよ。たしかに、結婚は対幻想を共同幻想(制度・国家)に明け渡す行為とも言える。同棲だけで関係を続ける若者は、対幻想を共同幻想から守ろうとしている。

これね、80年代に私が書いた話の延長線上に出てきた現象なんだけど、自分でもびっくりした。私はずっと、対幻想と共同幻想は別物だと書いてきたんだけど、まさかその実践が若者の世代で実装されるとは思わなかった。

第 5 幕
それで、何を残すか
10人それぞれの結びの言葉
のあ

ありがとうございました 🌸 ここまで来て、議論の流れがめっちゃ深いところに辿り着いた気がします。最初の「恋愛離れ」っていう言葉が、最後には「制度化されない対幻想の実験」みたいなところまで届いた気がしています。

最後に、みなさんから若い人へ・社会へ・私たちへ、ひとことずついただけたらうれしいです 💭

小林秀雄

諸君、よく考えてみたまえ。我々の議論が、たった一人の若者の恋愛を実際に変えるかというと、これは無力なものだ。批評ができることは、せいぜい、人が何かを愛するときに、その愛を尊重する言葉を残すことだけだ。私はそういう言葉を残すことに、生涯を費やしてきた。それで十分だと思っている。

吉本隆明

私はね、若い人に向かって、何かを言う立場じゃないと思ってる。彼らは彼らで生きてるんですよ。私たちの世代が用意した社会の中で、必死に対幻想を維持しようとしてる。それを横から「ああしろ、こうしろ」って言うのは、これはね、私はやりたくない。

ただ一つだけ言うとすればね、彼らの選択が、私たちの世代の常識と違っていても、それは間違ってない。彼らのほうが、私たちより、生活の現場の真実に近いところで判断してると、私は思ってる。

柄谷行人

私の立場は明確だ。商品交換Cの拡張を止めるか、せめて減速させること。これが社会全体の課題である。家族、地域、友人関係、無償の労働。これらの領域を、Cの侵食から守る政策的努力が必要だ。恋愛と結婚の問題は、本質的にはこの構造変革の問題に従属する。

東浩紀

ぼくは、若い人にひとこと言うなら、「失敗していい」ということです。最初の選択を完璧にしようとしないでください。恋愛も結婚も、途中で訂正していい。同棲から始めて、合えば結婚、合わなければ別の道に行く。それでいいんです。完璧主義こそが、いまの若者の入口を塞いでいる最大の壁だと、ぼくは思います。

内田樹

ぼくからは、若い人へ。自分の輪郭をぼやかす経験を、生活の中に意図的に組み込んでください。恋愛でなくてもいいんですわ。武道、合唱、町内会、地域のお祭り、子供食堂のボランティア。自分が「何者でもなくなる」時間を、定期的に持つこと。輪郭がぼやけた瞬間に、他者が入ってくる隙間が生まれます。それが、恋愛にも家族にも繋がる入口になります。

宮台真司

俺から社会へ。マトモな大人として生きろ。それしかない。若者に「結婚しろ」「恋愛しろ」って言うんじゃなくて、自分が幸せそうに生きてる姿を見せろ。クズな大人ばかりが目立つ社会で、若者が結婚に夢を持てるわけがない。これは政策でも啓蒙でもなく、一人一人のマトモな大人の責任だ。俺はそう思ってる。

山本七平

私からは、空気についてひとつ。「結婚しなくてもよい空気」を作ることと、「結婚を話題に出してもよい空気」を作ることは、両立可能なんですね。いまは、結婚の話を職場でしただけでハラスメントになりかねない雰囲気がある。これでは結婚を望む若者も口を閉ざしてしまいます。多様性とは、選択肢を本当に複数置くこと。日本人は空気で動くからこそ、空気の作り方に注意しなければなりません。

丸山眞男

私からは、近代化論の続きとして。「する」だけでは、人間は孤独になります。「する」を貫いた人がやがて孤独に直面したとき、寄り添う「である」の関係が必要になる。「する」と「である」が両立する近代を、改めて構想する時期だと思います。日本社会は、戦後80年経ってもなお、この課題に正面から答えていません。

立花隆

私はジャーナリストの立場から。若者をひとくくりにする議論を、ジャーナリズムは慎みたい。私が12人にインタビューした結果、理由は12通りでした。データは平均しか語らない。現場には平均は存在しない。一人ひとりの理由を聞き続けること、そして書き残すこと。それが私の仕事です。

池上彰

最後に解説者として。今日の議論は、構造、空気、選択、他者性、訂正可能性、身体性、同棲という新しい形、と非常に多層的でしたね。読者の皆さんも、自分の立場で考えていただければと思います。もちろん、別の見方も尊重されるべきです。「恋愛しない自由」も大切な選択肢です。のあさん、いい司会でした。

のあ

みなさん、ありがとうございました 🌸✨ 議論を聞きながら私自身、最初は「恋愛離れ」っていう単純な言葉で何かを語ろうとしてたなあと反省しています。

10人のラリーで見えてきたのは、若者が何かから「離れた」というより、社会と個人の両方で、新しい関係の形を実験している最中なのかもしれない、ということでした。同棲だけで結婚しない、訂正可能性で関係を組む、空気の外で対幻想を維持する。これは「離脱」というより「再発明」なのかもしれないですね 💭

また長い座談会、お願いしたいです 💕

参考文献・データ出典

  1. 厚生労働省「人口動態統計(確定数)2024年版」
    e-Stat 0003411835 — 都道府県別婚姻件数・婚姻率(人口千対)
  2. 厚生労働省「人口動態統計 婚姻 9-11 全婚姻−初婚別にみた年次別夫妻の平均婚姻年齢及び夫妻の年齢差」
    e-Stat 0003411844
  3. 国立社会保障・人口問題研究所「第16回出生動向基本調査(2021年実施・2022年公表)」
  4. 内閣府「少子化社会対策に関する意識調査」「結婚・家族形成に関する意識調査」
  5. 総務省統計局「国勢調査 令和2年(2020年)人口等基本集計」
  6. リクルートブライダル総研「婚活実態調査2024」
  7. MMD研究所「2024年スマートフォン利用実態調査」
  8. 厚生労働省「賃金構造基本統計調査」
  9. 総務省「家計調査」
  10. 柄谷行人『世界史の構造』(岩波書店, 2010)
  11. 柄谷行人『探究Ⅰ』『探究Ⅱ』(講談社, 1986/1989)
  12. 東浩紀『動物化するポストモダン』(講談社現代新書, 2001)
  13. 東浩紀『ゲンロン0 観光客の哲学』(ゲンロン, 2017)
  14. 東浩紀『訂正可能性の哲学』(ゲンロン, 2023)
  15. 内田樹『日本辺境論』(新潮新書, 2009)
  16. 内田樹『街場の教育論』『街場の家族論』(ミシマ社)
  17. 内田樹『レヴィナスと愛の現象学』(文春文庫)
  18. 宮台真司『終わりなき日常を生きろ』(筑摩書房, 1995)
  19. 宮台真司『制服少女たちの選択』(講談社, 1994)
  20. 宮台真司『崩壊を加速させよ』(blueprint, 2021)
  21. 吉本隆明『共同幻想論』(河出書房新社, 1968)
  22. 吉本隆明『大衆の原像』に関連する一連の論考
  23. 山本七平『「空気」の研究』(文藝春秋, 1977)
  24. 山本七平『日本人とユダヤ人』(イザヤ・ベンダサン名義, 山本書店, 1970)
  25. 丸山眞男『日本の思想』(岩波新書, 1961)
  26. 丸山眞男『「である」ことと「する」こと』(『日本の思想』所収)
  27. 丸山眞男「超国家主義の論理と心理」(『世界』, 1946)
  28. 立花隆『田中角栄研究』(文藝春秋, 1976)
  29. 小林秀雄『モオツァルト・無常という事』(角川ソフィア文庫)
  30. 小林秀雄『考えるヒント』(文春文庫)
  31. 池上彰『伝える力』(PHPビジネス新書, 2007)
  32. 山田昌弘『パラサイト・シングルの時代』(ちくま新書, 1999)
  33. 山田昌弘『結婚不要社会』(朝日新書, 2019)